シャンバラまつり

シャンバラまつりの
コンセプト

自然の中で作るアートと音楽を共に分かち合い、友情を育もう

情熱を持ったアーティストたちとボランティアの協力のもと、企業スポンサー無しで毎年企画・運営されているシャンバラまつりは、今年で14回目。私たちはこの手作りの祭りを、純粋で自然体でコンセプトに沿ったものとなるよう努めています。 

チェンダオの自然を尊び調和との調和の中で、10日間皆んなで一緒に暮らしながら行われる祭り。そこで共に音楽を奏で、アートを作り、踊り、笑い、思いを語り、愛を分かち合うことで、私たちは友達になっていきます。

 

祭り会場には大音響のステージがあり、地元タイと日本を含む海外からの様々なバンドのパフォーマンスが毎晩楽しめます。でもこの祭りが意図するところは、皆んなが自由に集まって始まるジャムセッションの中や、キャンプファイヤーの周りや、キャンプ場の至る所で起る出会いと創造と友情なんです。

 

自然の中で音楽やアートを共に作り、友情を育くんでいく。これがシャンバラまつりのコンセプトです


今年で14回目のシャンバラ祭りへ、ようこそ!



祭り実行チームより
(愛と平和と美をこよなく愛す筋金入りの日本人ヒッピー仲間✌️と、優しくサポートしてくれるタイ人の友達が中心となり、大勢のボランティアスタッフに支えられて2010年からこの祭りをアナログ、手作り、オーガニック、スローペースで続けています。


揺るぎない自然への愛

私たちは自然そのもの
周囲の山、川、森の美しさから切り離すことができない、自然そのもの

フェスティバル参加者および出店者の皆様へ。

 

シャンバラまつりは、チェンダオの大自然の中で開かれます。自然への愛を深め、自然に対する意識を高め、一人ひとりがそれに沿った選択と行動をとって下さい。


記録的な数の参加者が訪れた去年の祭りでは、毎日ゴミ箱が溢れていました。以下の事項に留意してゴミ削減に努めましょう。



よろしくお願いします❤️

「あなたが日々とる行動から、必ず何かしらの影響が出ています。どんな影響を出したいか、それはあなたが決めることなのです。」 -- ジェーン・グドール

シャンバラの歴史

南正人(みなみまさと・通称ナミさん)(1944年3月3日 - 2021年1月7日、76歳没)は、ロック・シンガーソングライター。チェルノブイリ原発事故から2年後の1988年に開催された8日間のキャンプイン・イベント「いのちの祭り」中心メンバーの1人でした。

 

ナミさんは1998 年と 2003 年に初の日本とタイの草の根フェスティバル「ジュビリー ジャム」をチェンマイ大学で開催しました。数年後、もう一度やろうという話が出た際に、もっと広い開放的な場所でやりたいと考え、自然豊かなチェンマイ県チェンダオに会場を移し、「シャンバラまつり(Shambhara in your heart)」として2010年に再スタートしました。

彼は死去当日までライブツアーを行っており、ライブ中にステージで倒れ、逝去しました。

以下は、南正人直筆の英文による 1988年いのちの祭り/1998年タイのジュビリージャム/2010年シャンバラ祭り/についての紹介文です。 (Wikipediaより抜粋) (写真は南正人公式サイトより) 

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シャンバラまつりが始まった経緯を多くの人たちから聞かれるので、今日は初めてそのことを書きます。

 

日本の八ヶ岳スキー場で8日間の野外キャンプ・フェスティバルを開催したのは、チェルノブイリ原発事故から約2年後の1988年の8月でした。私たちはこのフェスを「いのちの祭り」と名付け、No Nukes One Loveをテーマにしました。

 

それはまさに、原発や核兵器のない世界を実現するための、最初の大規模な集会でした。この祭りには、日本のヒッピーの若者6,000人を含む1万人以上が集まりました。これほど多くの数の人々がひとつの場所で、キャンプしながら1週間以上も生活するなんていうイベントはそれまでありませんでした。大勢のミュージシャンたちが出演し、より良い世界を創造するんだという私たちの強い意志を宣言する場となったんです。

 

この祭りにはタイの有名なバンドCaravanが招待され、バンドリーダーのスラチャイさんは私にこう言いました。「ナミさん、なんて素敵で美しいフェスティバルでしょう!いつか私の国でもこのような平和なフェスティバルが開催できたらと思います。タイでこのようなイベントを企画すると、大概問題が生じて、こんなふうに平和的なものになったためしがないんです」

 

私はしばらく彼の言葉を忘れることができませんでした。それで、1992年にタイに行く機会があったとき、彼を探してみました。ピクさんが私を彼の家へ連れて行ってくれました。

「こんにちは! スラチャイさん、やっと会いに来ました! お祭りを企画してくれたら手を貸しますよ。」いい返事を期待していた私に彼は、「ごめんなさい、ナミさん、私は今体調が悪くて気力がありません。だから誰かほかのパートナーを見つけてください。」

 

少しがっかりしましたが、すぐに気を取り直し、わかった、誰か見つけよう、誰かいるはずだと、その後6年に渡ってタイを訪れましたが、これぞという人が見つからず、諦めかけていました。すると、有名なロックギタリストのトゥクさんが、「先輩!僕がやりますよ!やらせてください!」と名乗りを上げたんです。

 

1998年に初めての日本・タイ共同草の根フェスティバル「ジュビリー・ジャム」をチェンマイ大学で開催し、収益の一部をゾウ病院に寄付しました。その後2003年にはスパチャイ教授が大学を代表して参加し、第2回フェスティバルを行いました。僕が期待していたものとは大分違いましたが、外国で開催したんだから、と思うと何とか腑におさまりました。

 

前回に続き収益の一部をA.D.E.P-Aka女子教育プログラムに寄付しましたが、実際のところ、この2つのフェスティバルのためにかなりの自腹を切っていたので、お金のトラブルにうんざりして、もうタイでフェスティバルをするのはやめようと思っていました。

 

数年が経ち、日本の仲間たちからもう一度やろうという話が出た時、今度は都会でなく自然の中で、スポンサー無しでやりたいと考えました。

 

まず、パーイで場所を探しました。ステファンとピクと私の3人は毎日パーイ地区を車で走り回りましたが、なかなかいい場所が見つかりません。

 

私はこの話をウラノさん(チェンマイ在住の友人)に伝えるためにチェンマイに戻りました。すると彼は、「ナミさん、チェンダオには素敵な場所がたくさんあるよ。きっと気に入る場所が見つかるよ。」と言いました。

 

早速翌日チェンダオへ向かい、大きな交差点で左折すると、まるで目に見えないエネルギーが私たちの車を引き寄せているような感じがして、気がつくとドイルアンのキャンプ場に立っていました。正面にあるドイルアン山脈を見上げると、ここだ!ここだよ!と感じました。

 

その年、タイに向かう飛行機の窓からとても奇妙な山を見たんですが、目の前にある山がその山でした。これはきっと天からの導きだと思いました。私たちの横で村人4、5人が銀色の蛇に指を差して何か話していました。「神の使いが来た。何か良いことが起こるだろう。」村人によると銀蛇は滅多に村に降りてくることはなく、村では誰もこの蛇を殺すことはないそうです。

 

同年10月に再度訪れ、この土地を仕切るニコン氏と契約を結び、2010年に第1回シャンバラフェスティバルを開催しました。参加者250人という非常に小規模なもので、収入も少なく赤字でした。でも私たちは満足し、続けることに決めました。

 

私たちはお金のためではなく、明るい未来のためにこのフェスティバルを行っています。シャンバラに来れば、時間はたっぷりあります。街の明かりから遠く離れた場所で、考え、話し、見、聞き、歩き、何かを見つけることができます。そうして私たちはゆっくりと一つのファミリーになってゆくのです。これはフルムーンパーティーとは大分違います。

 

私は自分自身を、タイへ日本の祭りを運ぶ橋渡し役であると考えています。

 

毎年、世界中から多くの人が集まってくるようになり、今年はなんと63ヶ国から3,500人が参加しました。過去9年間、トラブルや喧嘩は一度もありません。この祭りは地元の人々にも人気が高く、タイ人が参加者の多数を占めます。

 

これが、シャンバラまつりがどのように始まったかについての簡単な説明です。



南正人


ナミさんを偲ぶ2023年のイラスト

パーイ在住ステファン・ウェバーによる2025年のポスター 

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